二十歳のとき、東京国立博物館で室町時代の「辻が花染め」の小裂に出会った久保田一竹は、その美に魅了され、過去の模倣でなく、現代に息づく染色としての独自の『辻が花』研究に心血を注ぎました。
しかしながらその道のりは険しいものでした。召集、敗戦、シベリアへの抑留を経験。十分な研究も出来ない日々を過ごし、1948年、31歳で無事復員。生活のために従来手懸けていた手描友禅で生計をたて、40歳にしてやっと本格的に『辻が花』の研究に取り組み始めることができました。
しかしその後も、毎日が失敗の連続でした。困窮の時代を経て20年間の辛酸をなめ尽くした研究の末、60歳にして初めてひとつの完成を迎え、これを【一竹辻が花】と命名。1977年には初の個展を開催。以来、国内はもとよりヨーロッパ、北米においても展覧会を開催し大好評を博しました。1990年にはフランス政府より、フランスと世界に芸術的に影響を与えたことを称えられ、【フランス芸術文化勲章シェヴァリエ章】を受賞。また、1993年には文化庁より文化長官賞を受賞致しました。
一竹辻が花染め
歌碑「一竹の いのちを染めし この辻が花 生きよ華やげ 幻ならで」
1994年、河口湖畔に自ら【久保田一竹美術館】を建設。1995年6月より10月にかけ、カナダ・オタワ近郊のカナダ国立文化史美術館にて個展。そして1995年11月~1996年4月にかけては、現存作家の個展を過去一度も開催したことのないワシントンD.C.のアメリカ最大のスミソニアン国立自然史博物館にて個展を長期開催。1997年には、日本全国13都市にて巡回展を開催する中、7月に【久保田一竹美術館】の『新館』が完成。2000年にはベルリンとウィーンにて個展を開催。その後、久保田一竹美術館での創作舞台と連作「光響」の制作に全精力を投入。 2003年4月26日逝去。享年85歳。法名『華嚴院幽玄一竹大居士』。